大庭 桂

2020年6月17日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

4ヶ月前、テレビでダイヤモンドプリンセス号の悲劇を、対岸の火事として眺めていたのに、大陸で感染拡大した疫病は、次から次へとあらたな感染者を求めるように、世界中へ広がった。日本もようやく、自宅待機を解き、子どもたちも園や学校へ通えるようになった。
けれど、それは新しい生活様式に 基づいた暮らし、という制約に支配されている。
制約されると窮屈であったり不便であったりで、不満に思う向きも多数おられるけれど、社会全体に与えられる制約は、実は新しいモノを生むチャンスの時。人間だってそうだ。ストレスあっての発明発見は、歴史を振り返れば、数えきれない。翻って言うならば、ストレスがなければ、新しいモノは生まれない。
疫病蔓延や、天変地異、自然災害は、多くの命の犠牲を伴うけれども、命、魂の進化には不可欠なものだ。
いつ死んでもいいように、身辺断捨離につとめ、今日の命をたいせつに生きたいおばけである。
おばけ🌿

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2019年3月 6日 (水曜日)

一昨日、北陸熊本日帰りお見舞いの旅は、無事に完結。一番心配であったのは、母の病状ではなく、地震であった。九州で、それも熊本で強い揺れがあれば、新幹線は動かなくなり、日帰りは困難になるからだ。
幸いにして、地震で新幹線が止まることはなく、1分の遅れもなく帰りの新幹線は新大阪駅には、優雅に停車。日本の電車は、ダイヤの正確さ、車両内外の美しさ、走りの軽快さ、すべてに感心せざるを得ない。久しぶりの新幹線であったが、日本の鉄道は、芸術品とも思わしめられる1日となった。
目的であった母の見舞い。病院は、最新式で美しく、医師もスタッフも質が高く、母は観察室で、眠ったり目覚めたり、要求を述べたりしていて、術後の管が不自由なようであったが、あまり弱ってはいなかった。病院におまかせしていれば安心である。
新大阪からのサンダーバードは、湖西線が強風で米原周り。時間にして30分の遅れは致し方なし。
帰宅は予定より一時間遅れてしまったが、熊本日帰りができたのは、九州新幹線のおかげさま。大満足のおばけの旅でした。
以前は殺風景であった新大阪駅の在来線コンコースの土産品や食事所、弁当売り場の充実は目覚ましい。
これもまた、電車と同じく美しいお弁当が、ずらりと並び、東南亜細亜テイストや今人気のドラマのチキンラーメン、和牛などなどデパートの地階よりも楽しめるかもしれない。ゆっくり見て、いろいろ買ってみたかったけれど、乗り換え時間20分は、あっという間で残念。これらの売り場をプロデュースしたコンサルタントは、すごい❗️と改めて思ったおばけでありました。

おばけ🌿

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2019年3月 4日 (月曜日)


目の前に琵琶湖が広がっている。☔️のあとの朝は雲がたちこめているけれど、竹生島が見える。
五にゃえもんやクス丸とクロ、シラタマを思いながらながめている。
今日は、高齢の熊本の病院に入院して一週間たつ母の見舞いに、日帰りで九州へ向かう電車のなか。
雨雲はまだ去る気配がなく、琵琶湖は霧の向こうに隠された。
まだ、食べられない母に何も見舞いの品を思いつかないので、春に出る児童書の校正が終わったばかりの原稿を見せてあげようと思う。見せても母は、私が見舞ったことも原稿のこともたちまち忘れてしまうだろうけれども。
今朝おばけは火の国肥後に向かって、疾走中。
おばけ🌿

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2019年2月15日 (金曜日)

おばけつぶやき 紙上の攻防

今日、編集者から校正原稿が送られてきました。
たぶんこれが、印刷前に、おばけが手を入れられる最後の機会。
かと言って、もう大幅な修正などは致しません。読みがなの確認。誤植。読みづらさがないかを、サーッと読んでいきます。
前から気になっていた言いまわしとかがあれば、そこも調整します。
もうすでに、編集者との調整、版元との調整は済んでいる原稿ですから、お嫁入り支度は万端に近いのです。最後の攻防は、校閲者との間に繰り広げられます。
校閲する人はやたら物識りで、もちろん文章的にも専門家。書き手と校閲者との直接対決の攻防は、紙上で繰り広げれば大喧嘩になりそうな気がします。間に編集者や版元をはさんでの対峙なので、編集者がかなりの守備力を発揮してくれます。書き手は、イメージの世界で、言葉を紡ぐのも読み手にどう伝えるかを考え、感覚的に自分の響きに従って書いていますが、時に描く事象の調査が不足していることは、ままあります。そこを、ガンガン突いてくるのが校閲者。とても助けになることもありますが、絶対の信頼は置けません。校閲者の知識は得てして辞書的なことも多いからです。校閲者に指摘されると、やたら闘志がわいてしまうために、集中して原稿を読み直すとこもあり、死守するところもあった校正原稿。すみやかに返送したおばけでありました。

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2019年2月 5日 (火曜日)

立春、本当のお正月は今日あたりから。
あらたしきとしの初めの初春の 今日ふる雪のいやしけよごと 大伴家持 万葉集
新しい年の初めに祈ること、ふりつむゆきのように、いいことがいっぱの年になりますように
という歌意なので、それを詠まれたであろう旧正月の元旦である今日に、唱和するのはいにしえと通いあうものありそうな。
年末年始、妖怪とともに生きていて、今は最後の調整中。編集者と版元の意向に従うのみのオバケです。
物語世界にいると筆まかせで、客観の視座にないまま書いているので、理性と現世の道徳的範疇に、言葉のすべてが入っているのかわかりません。そらゆえ、編集者と版元の意見は絶対。
もう少しで最終局面に入りますので、目を皿のようにして、原稿と向き合うオバケです。


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2018年12月21日 (金曜日)

おばけつぶやき帳

「空が青い」半分青いのではなくて、空が全部青い!ようやく妖怪たちのいる異界暮らしから生還。
妖怪辞典があるほど、八百万の神の国日本には、妖怪と呼ばれる存在も無限に近いのだと毎日、書きながら実感しました。
原稿は二百枚を超えたかなという分量。
これから、整理や調整、直しがありますが、編集者さんのご指導に従います。
今ごろ、編集者さんはきっと苦慮なさっています。
ああ、申し訳ない。
けれど、注文の原稿を送信したあと、やっとこの世の空の青さを満喫したおばけでありました。

おばけ🌿

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2018年11月30日 (金曜日)

霜月の終わり

りんごやミカンやスルメを食べながら、原稿に向かうおばけです。
原稿を書くという作業は、脳内にイメージがかたまっていれば、それを描写するだけでいいのですが、その漠然としたイメージはかいているうちに、変化してとてつもない化け物になっていくことが、ままあります。それで、いい作品になればいいけれど、なんだかなあってことになると、これはちょっと違うかも、で筆がつまってしまいます。
筆がつまったら、がむしゃらに雑事に邁進。落ち葉掃除や片づけや料理やに全力取り組み。
それを毎日くりかえしていたのに、編集者さまに少し締め切りを延ばしていただくお願いをしたのは、11月初めでしたか。
おばけは、おいしいものを食べても紅葉に染まる山にいても、原稿のなかの次元に頭のなかを置いてきた状態3ヶ月。
そんな自分を、日本一幸せな書き手ではないかと、ふと思いました。
編集者さまは、勝手な次元の勝手なビジョンでたらたら綴られたものを読み、的確に一般的目線と、版元の希望する内容をふまえて、赤字を入れて下さいます。編集者という仕事は、書き手と版元を上手にコーディネート、コーチングして作品を本として完成させねばなりません。書き手にも版元にも絶対の信頼を得た編集者は、最高の仕事をしてくれます。
本は、図書館に入れば何十年も読まれることになります。だから、ユーチューブなどにチャチャッとライターが書いていくものとは、手間のかけ方が違うのです。校正の専門家による厳しいチェックも入るし、何より筆者に戻される書き直しは、一回や二回では済みません。書き直しに書き手が気を悪くするとすれば、その書き手はもう伸びません。よりよくなることを放棄するのですから。
どんな制約のなかでも、新たなものを産み出せないなら、書き手はやめた方がいいと思います。
さて、今から、直し原稿に向かいます。
おばけ🌿

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2018年10月20日 (土曜日)

おばけつぶやき帳

今年の夏は暑さが続き、9月は「半分青い」と台風に翻弄され10月に突入。
すずめちゃんと律くんは、皆の期待と願いに応えてくれるところに、着地。国民は安堵。
台風は、老木を十数本なぎ倒して去った。
そしてオバケは、今、原稿と日々取っ組み合い。パソコンの前に居ないときも、頭はどこかで、原稿の成り行きを考えている。
これが、11月まで続くはず。原稿のチャンネル世界と現実世界を行ったり来たりして暮らすためには、睡眠が不可欠。早寝早起き、日常雑事の働きの充実は、原稿に反映する、と思うオバケであります。
オバケは毎日、レモンハチミツ水に凝っておりやす。

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2018年7月11日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

頼まれた原稿は、締切より早めにあげることを心がけています。
某業界紙に頼まれた某大学の企画した本の紹介原稿。紹介する本が到着して、ほどなく原稿をあげ、早めに仮ゲラを見て、おまかせしたら、早々に掲載。早めで良かった。
西日本が豪雨に見舞われ、大惨事となった。どんな業界紙も、紙面を大きく災害に割かねばならないからだ。おばけGJ。
おばけは、最近、YouTubeというものをのぞいて、社会勉強。流れる文字に、意味がわからないものがあると、Google先生にお尋ねして学ぶ。トメが姑で、コトメが小姑、ウトが舅で、ウトメが義両親。
おばけは、現代用語に少し明るくなり、満足。
YouTubeでは、安直におもしろい話が読める。
人類は皆が小説家なのだと思えてくる。ゆえに、小説家無用論も生まれてくるにちがいない、とおばけは予想している。
おばけ🌿

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2018年5月31日 (木曜日)

おばけは恵那市岩村が舞台とされる 「半分、青い 」を
どうなるのかドキドキしながら毎朝BSで見ています。
そして、あまりドキドキしないですむように、先の方までのあらすじを読んでおくことにしました。
今日は最終までのあらすじを読めて、ほっとしています。これで、毎朝少し落ち着いて、見ることができます。いい作品は、何度見てもいいです。むしろ何度も見たくなります。
すずめちゃんに、どうしてこんなセリフを言わせるか。シーンによっては心憎い演出で、何度も見ても感心するところもあり。一人一人のキャラの立たせ方のうまさは、セリフにもあるし、役者の力量もあるし、演出にもあります。
おばけつぶやき帳の管理人氏が、何年も前から音斎人を開いておられる岩村が舞台と知った時、おばけはひっくり返るほどうれしく、それからより熱心に朝ドラウォッチャーになっております。
おばけ🌿

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