大平宿

2004年4月 2日 (金曜日)

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2002年10月15日 (火曜日)

対談 町並み歩きは魅力いっぱい

 歴史と自然が育み 
人が楽しく暮らす場所
建築家
東京芸術大学客員教授
吉田 桂二さん
×

作家        
森 まゆみさん
http://www.tajimiyori.com/pics/yoshidakeiji/taidan-01.png

対談 町並み歩きは魅力いっぱい


高度経済成長で生まれた危機意識
お久しぶりです。いつもは仲間うちでの気楽な感じの放談ですが、今日は真面目に町並みについてお話をおうかがいできるんですね(笑い)。
吉田
こちらこそ楽しみです。

とにかく先生はたくさんの町並みを歩いていらっしゃいますが、いつごろから始められたのですか?
吉田
戦後、山歩きと称して食料品の買い出しに出かけて(笑い)、麓の民家をずいぶん見て回ったんです。東京は焼け野原でしたからね、まるでふるさとの町を見ているようで懐かしかったですね。

お生まれはどちらですか。
吉田
岐阜市なんですが、やはり戦災で全部焼けてしまいました。あのまま残っていれば重要伝統的建造物群保存地区(以下重伝建地区)に選ばれていたような町並みでしたね。町の中を屋根づたいに歩き回れたんですよ。

まあ、おもしろそう。
吉田
戦争で壊され、今度は戦後の復興でどんどん古い民家が失われてゆく、これは早く見て回らないと、と思い、のめり込んでしまったわけです。最初は建築的興味から旅人の目で見ていたのですが、そのうちにその土地に関わるようになると、見ているだけではすまなくなってきます。< br>

そうですね。そして町並みを保存する活動へと。
吉田
http://www.tajimiyori.com/pics/yoshidakeiji/taidan-02.png
ええ。最初に関わったのは長野県飯田市の西にある大平(おおだいら)という集落なんです。
たまたま朝日新聞の記者だった本多勝一さんと知り合いまして、彼の故郷である飯田の山の中に家を建てる話になり、昔あった農家のような家と、書庫用に蔵を設計しました。そして本多さんとご一緒に伊那谷を見て回る機会が増えまして、そこで大平を残す運動をしている方たちに出会ったわけです。

いつごろのことですか。
吉田
昭和48年ですね。大平というのは、飯田と妻籠を結ぶ大平街道にあった宿駅だったんですが、昭和45年に一斉離村し廃村となったところなんです。その後、開発業者が別荘地を造る計画を立てたのですが、これに反対して飯田市の有志が「大平の自然と文化を守る会」をつくりました。

当時の行政の意識は、一斉離村させておいて、その後は崩れゆくまま放置しておくという程度で、まして文化財として残すという考えはなかったのでしょうね。
吉田
ええ。こんなボロ家のどこが文化財かといわれましたね。結局オイルショックで開発計画はつぶれまして、現在は大平を生活原体験の場として保存しようと、「大平宿をのこす会」として引き継がれ、行政も一体となって進めています。

ちょうど昭和40年代後半から、日本中のあちこちで町並み保存運動が起きましたね。全国町並み保存連盟も昭和49年に愛知県名古屋市の有松で生まれました。
吉田
高度経済成長で、歴史のある文化的な町並みが失われてゆく、その危機意識が一つの流れになったのでしょう。

ディスカバージャパンのキャンペーンがあったり、「小京都」という言葉も生まれましたね。先生の活動も町並み保存運動の一端を担ったわけですね。
吉田
ただ、私はその時は町並み保存運動をしている意識はなかったですね。というのは町並み保存というのはそこに住んでいる人達が、自分たちの町を守るためにするもので、大平のように誰も住んでいない集落を復活させようというのは、“おしかけ保存”だといってたんですよ(笑い)。しかし、古都保存法を作るきっかけとなった活動団体である、全国歴史的風土保存連盟の大会で大平の話をしましたら、とても評価されましたが。

そうでしょうね。私がタウン誌『谷中・根津・千駄木』を始めたのは昭和59年ですからほぼ十年後になりますね。東京はオリンピックで、どんどん町が変わってしまったというのが原体験としてありました。当時は、近代化することはいいことだと思っていたんですね。
吉田
それは当然だと思いますね。

青山あたりも道幅が広くなり町がきれいになっていく、それなのにどうしてわが家の周辺だけ古い瓦屋根の商家が建ち並んでいるんだろうと、思っていたりして。
でも雑誌を始めるころには、あまりにも町が壊されていく、その前に記録だけでもして、あわよくば残してもらえるようにしようと思い、聞き取り調査を始めたんです。
それまでは大学の研究者による建築史の調査が多かったのですが、主婦が雑誌作りを始めるんだから、被服とか食事・料理、産育などを聞き取って、昔の生活史を残そうということになりました。
吉田
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本当に東京でよく頑張ってこられたと思いますね。東京は僕にとっては見捨ててしまったような町ですからね。

東京のなかで、震災も戦火も逃れた町というのは本当に少ないんです。上野の北側一帯の谷中・根津・千駄木あたりと、本郷の一角や佃、築地、愛宕…で、月島あたりになると震災後にできた町なんです。自分の暮らしている町が残しておきたい町だったというのはラッキーでしたね。【写真】


都会と地方では違う保存のあり方
歴史ある町並みを残すということは、私たちの財産(文化財)を後世に伝えていくという大切な意味があるわけですが、私は地方での町並み保存と、都心部でのそれとではやり方が違うと思うのですが。例えば大平にしても、妻籠(長野県)や大内宿(福島県)にしても失礼ないい方ですが、過疎地の農村部ですよね。このようなところは町並みを保存し、整備し、修景することによって、ある程度観光資源としてよみがえらせることができ、観光収入が見込めます。ところが東京ですと、住んでいる方も会社勤めで収入が安定していますから観光収入を得るために、みんなで町並み保存をしようということにはなりません。また地価が跳ね上がって、相続税や固定資産税の問題などもあり、なかなか一筋縄ではいかないんですね。
吉田
そうでしょうね。

しかも東京では、“町並み”というほどのところは残っていませんし、町並み保存というよりは、個々の建造物については篤志家が自分の家に誇りを持って残すか、行政に買い取ってもらって移築保存するかというやり方になります。
吉田
ええ。

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例えば、谷中から上野にかけて見てみると、谷中には、朝倉彫塑ちょうそ館がありますが、これは朝倉文夫さんの遺族の方が区に寄贈してくださったものです。そして上野公園内には旧東京音楽学校奏楽堂が近代建築として、移築保存されています。この二つのちょうど中間に、明治に建てられ昭和61年まで営業していた吉田屋という酒屋さんがあって、これが下町風俗資料館付設展示場として残ったんです。そうすると、これらをめぐる周遊ルートができて、その途中に下町の町並に合うような民具屋や喫茶店を開業する人達が集まってきます。
吉田
東京ではポイントになる建造物などの保存、つまりポイント保存が重要なんですね。

ところが、すてきなのれんが下がっていた藍染め屋さんが、ある日突然、真っ白なコンクリート壁のショートケーキハウスになってしまうんです。ですから町並みを壊さないような立て替えをお願いしたり、玄関側はそのままで奥だけ改装してもらうとか、工夫しています。
吉田
地方の場合は、過疎化が進んで、人がいなくなった町にどうやって人を呼び戻すかということが課題になりますね。ですから文化財保護と叫ぶだけでなく、それを生かして利用価値を持たせることも大切だと思います。妻籠あたりも、昔はゴーストタウンでしたから、成功した例でしょう。
新しい建物も、分からないようにうまく造っていますし。

そうですね。
吉田
私は福井県の熊川宿の保存にも関わっているのですが、昔と違って、道路がよくなり、熊川は小浜への通勤圏内なんです。
そうすると、熊川宿にある古い家はそのまま物置きにして残して、住人たちは近くの建売住宅で生活しているという事態が起きるんです。建物だけ残っていても、人の生活がなければ町並みを保存する意味はないんです。

まったくその通りですね。
吉田
ですから古い家の中でも現代の生活がきちんとできるようにしましょう、と勧めています。外観は昔のままでも、室内は明るく暖かくし、台所には対面キッチンを作ったり、トイレは水洗にしたり…。古い家でも、そこで楽しく暮らす生活があれば町が活気づき、祭りやイベントもできるようになります。そうするとその町にファンができるんですよ。なにも観光バスが来るような観光地にしなくてもいいんです。

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そこで暮らす人々が、歴史的形態を残しながらも、快適に生活できることが大切なんですね。そうして自分の町を愛していくと、それを応援してくれるファンもできると。
吉田
ええ。昔ながらの町並みを保存するからといって、歯をくいしばって、不便な家に我慢して住むことはないんです。そして百年経ったときにも、歴史的景観が残り、なおかつそこに人々の暮しがあるかどうか、が問題ですね。


美しい自然があって町並みが成り立つ
吉田
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ポイント保存の話が出ましたが、東京駅の保存運動のときには、頑張られましたね。

昭和61年に駅周辺の再開発計画が起きたときですね。当時、十年早かったら保存運動の機運が熟してなくて、無理だったろうといわれました。今は、不忍池に地下駐車場を作る計画に反対して、だいぶ成果を上げています。私は、町並み保存というのは、文化財だけとか、家並みだけ残せばいいということではなく、やはり周りの自然も一体として残さなくてはいけないと思うのです。
吉田
その通りだと思いますね。大平だって、美しい自然環境の中にあるから意味があるんです。そういう意味では、愛媛県の内子は、「エコロジータウン・内子」というキャッチフレーズで、町並みを残すことと同時に農村風景を残そうとしています。
また、松山あたりの人達が週末に畑仕事を体験できるような試みもしていますね。

里山の棚田風景を残して美しい水を守ったり、重伝建地区以外の内子座でも歌舞伎の公演をしていますね。
吉田
重伝建地区内がきれいになるのは当然ですが、地区をはずれるとまったく違う雰囲気で、違和感があるというようなところもありますからね。

ええ、できれば地区外でも、そして自然環境もトータルで考えないといけないと思います。町並み保存は、つまりは日本の風土を保存することだと思います。そういう意識を、行政も、町並み保存団体も、建築家の方たちも持つべきだと思いますね。


町の歴史を知り道に迷おう
ところで先生は特にお好きな町並みというのはありますか?
吉田
私は惚れっぽくて、すぐにここはいいなあ、ここに住んでみたいなあと思ってしまって、どこが一番というのはいえないですね。

ここは私のために用意された場所だと思うことってありますね。
吉田
とにかく自分で探すのが一番です。
行って見て、歩いて、町の人と話をして、自分で発見する楽しみを味わってほしいですね。そのためには町の歴史を少し勉強してから見てほしいと思います。歴史といっても、年号や事件といった学校の教科書的な歴史ではなく、その町が生まれたいきさつや人々の生活の移り変りということです。
例えば京都の伏見は、今は京都市の一角に過ぎない伏見ですが、もともとは大阪と京都を結ぶ舟運の重要な拠点で、たいへん栄えたところです。

少しでも、そういう歴史を知っていると見方が変わりますね。私は思い立って出かけ、気の向いた駅で降りて、現地の観光案内所で地図を一枚もらって適当に歩くんです。
吉田
適当に歩くというのは町並み歩きの極意です。

道に迷うのはおもしろいし。名所だけかけ足で見るのではなく、その途中がおもしろいんですよ。路地で出会った人達とか、小さな店で食べたラーメンがおいしかったとか(笑い)。そういうことが心に残るんですね。
吉田
町は歩かなければ、その良さは見えてこないですからね。

先だっても新潟の六日町に雪を見に行こうと出かけ、ローカル線に乗っていました。途中にある塩沢という駅で降りてみたんですが、古い町並みがあって、静かでいい町でした。『北越雪譜』を書いた鈴木牧之ぼくしのお墓参りをしたりして。ちょうど次の電車が来るまで楽しみました。
吉田
目的もなくブラブラ歩くというのは旅の理想といえますね。

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また、琵琶湖の周辺はいいですね。公演に出かけて、その合間にレンタサイクルで回ったんですが、堅田の街並みはすてきでした。
吉田
ええ、琵琶湖の回りには歩いてみたい町がたくさんあり、民家の宝庫ですね。
古くから西日本と東日本を結ぶ交通の要所として、多くの文化や物資が行き交い、栄えたところですからね。

近江八幡、大津、彦根もいいですね。
吉田
湖北ではマキノや長浜も。長浜は黒壁とガラス工芸を新たな名物にして成功しましたね。たいへん賑っています。

しかも長浜には伝統的な子供歌舞伎も残っていて、曵山まつりはすごいですね。
吉田
岐阜県の飛騨古川の町もいいですよ。
高山の姉妹城下町で、昔の高山の様子がわかる町ですね。人口の約一%が大工で、町並み作りの調査をした時に、何をアピールするかとなった時に、やはり大工さんに頑張ってもらわないと、ということになりました。古川の大工の伝統と技術を伝えるために、飛騨の匠文化館というのを設計しまして、釘を一本も使わずに、地元の大工さんたちに造ってもらったんです。

古川は私もいつかは行きたいと思っているところです。
吉田
また、瀬戸内海周辺には素晴らしい町並みが濃厚に残っていますね。

ええ。岡山県の牛窓や広島県の靹ノ浦とものうらも感動しました。
吉田
瀬戸内海周辺には観光地化されていないところも、立派な町並みが残っています。
私は瀬戸内海文化圏といういい方をするんですが、規模は小さいものの、瀬戸内海はヨーロッパにおける地中海だと思いますね。

海賊もいましたし(笑い)。
吉田
地中海にはヨーロッパ文明の原点といえる部分がありますが、瀬戸内海もそうではないかなと。つまり古くから瀬戸内海は大阪との交流の窓口でしたから、日本の文化の一つの原点があると思います。そういう目で見ると、非常におもしろいですよ。

沖縄の竹富島も楽しかったです。山羊の料理が出たり、生の海老を手づかみで食べたり。こうしてお話をしていると、宿場町から城下町、商家町、港町といろいろな顔の町並みが浮かんで、嬉しくなりますね。
吉田
歴史的町並みには、日本の美があります。日本の文化の本質があるといっても過言ではないと思います。それを残し伝えていくためにも、皆さんに歩いて見てもらって知ってほしいですね。

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まだまだ知らない町並みがたくさんあるような気がします。私ももっと多くの町並を見に出かけたいと思います。


この対談は、さくら銀行広報部編集発行の『「こんにちはさくら銀行です」No.25 1997年春季号 特集・町並み』に掲載されたものを、吉田桂二さんのお許しを得て転載しているものです。原文はすべて縦書きのものを、WEB用に横書きに組み替えてあります。

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