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2015年6月17日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

こんな夢を見た…と始まるのは夏目漱石の夢にまつわる短編。
早寝早起きのおばけは、昨夜、盃に少しいつもの赤玉ワインを頂戴し、いつものごとく眠ったのだけれど、一夜朝まで夢にうなされていた、と思う。
朝起きたらすぐに、こんな夢を見た、と幾編も夢での見聞を書いておかなければ、と勇んでいた。
そうか、あれはそういうことだったのか、というたくさんの納得をかかえて目覚めたからだ。
昨夜、寝るまで読んでいたのが万葉集の大伴の旅人の歌だったせいもあるかもしれない。
65歳の高齢でありながら都から遠く離れた大宰府の役人として、赴任せねばならなかった旅人の歌は、藤原京への望郷の切なさと酒への思いがあふれている。
世はうつろっても繰り返される人間の歴史に、不本意な左遷はつきものだ。
ところが悠久の輝きを持つ文学は、たいてい血涙をながさんばかりの境涯から生み出される。
司馬遷の史記しかり、シュヴァイツァーのキリストに関する論考やバッハ研究しかり、蜻蛉日記や枕草子も
しかりではなかろうか。
うなされながら見た夢で、しかと今、書けるのは、よられる糸の法則についてである。
古代、命は糸のような概念でとらえられた。これは現代科学で遺伝子DNAが螺旋構造であることあい通じる。
織物をはたからおろす時、布の両端の縦糸によりをかける。よりをかける時には糸の一本一本を逆さの向きに指でほどく。糸にとっては、落ち着いた状態を逆方向にねじられるのだから、苦しいことだ。しかし、よりをかけられることにより、糸は何本もの糸がまとまり、太く美しくなる。
個人の命の糸もしかり、家族の命もしかり、仲間どおしもしかり、それが今朝の夢で納得したことであった。毎日うなされるのは、つらい。今夜は赤玉ワインを飲むかやめるか、オバケは迷っておりまする。

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