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2010年12月20日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

言葉の壁を愛は越えられるか?というテーマは、常に興味あるところなのですが、小泉せつさんの書かれたものを読んで、言葉は巧みであることより、男女双方の気持ちの寄り添い方だなあという思いをあらたにしました。夫婦の愛情がどれだけ継続するかは、いくつかの要素があって、尊敬、感謝、相手をどれくらい許せるか、という点が重要な鍵となると考えています。
特に許せるという要素は大切で、笑って許せてむしろそれを楽しみ慈しめるならば、夫婦は永続的ななかむつまじさを保って生涯を終えるにちがいないと思えます。
小泉せつさんの夫小泉八雲は、日本人への理解度と感度卓越した方でしたが、日本語は巧みではなかったのではないかと、せつさんの文章に見える夫婦の会話から推測されます。例えば八雲晩年、体の不調を訴える時に「病来ました!」おそらく痛みに襲われたのだと思います。「病行きました」という言葉でほっとする妻。明治の日本女性は、平成の女性に比べ、結婚や夫婦の道ゆきに、深い覚悟で臨んだから素直で寛容で辛抱強かったのではないでしょうか。それを抑圧と隷属を強いられた末の姿ととらえるには、無理があり、むしろ穏やかな幸福を小泉せつさんの文章に感じたオバケでありました。

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