2020年6月17日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

4ヶ月前、テレビでダイヤモンドプリンセス号の悲劇を、対岸の火事として眺めていたのに、大陸で感染拡大した疫病は、次から次へとあらたな感染者を求めるように、世界中へ広がった。日本もようやく、自宅待機を解き、子どもたちも園や学校へ通えるようになった。
けれど、それは新しい生活様式に 基づいた暮らし、という制約に支配されている。
制約されると窮屈であったり不便であったりで、不満に思う向きも多数おられるけれど、社会全体に与えられる制約は、実は新しいモノを生むチャンスの時。人間だってそうだ。ストレスあっての発明発見は、歴史を振り返れば、数えきれない。翻って言うならば、ストレスがなければ、新しいモノは生まれない。
疫病蔓延や、天変地異、自然災害は、多くの命の犠牲を伴うけれども、命、魂の進化には不可欠なものだ。
いつ死んでもいいように、身辺断捨離につとめ、今日の命をたいせつに生きたいおばけである。
おばけ🌿

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2019年3月 6日 (水曜日)

一昨日、北陸熊本日帰りお見舞いの旅は、無事に完結。一番心配であったのは、母の病状ではなく、地震であった。九州で、それも熊本で強い揺れがあれば、新幹線は動かなくなり、日帰りは困難になるからだ。
幸いにして、地震で新幹線が止まることはなく、1分の遅れもなく帰りの新幹線は新大阪駅には、優雅に停車。日本の電車は、ダイヤの正確さ、車両内外の美しさ、走りの軽快さ、すべてに感心せざるを得ない。久しぶりの新幹線であったが、日本の鉄道は、芸術品とも思わしめられる1日となった。
目的であった母の見舞い。病院は、最新式で美しく、医師もスタッフも質が高く、母は観察室で、眠ったり目覚めたり、要求を述べたりしていて、術後の管が不自由なようであったが、あまり弱ってはいなかった。病院におまかせしていれば安心である。
新大阪からのサンダーバードは、湖西線が強風で米原周り。時間にして30分の遅れは致し方なし。
帰宅は予定より一時間遅れてしまったが、熊本日帰りができたのは、九州新幹線のおかげさま。大満足のおばけの旅でした。
以前は殺風景であった新大阪駅の在来線コンコースの土産品や食事所、弁当売り場の充実は目覚ましい。
これもまた、電車と同じく美しいお弁当が、ずらりと並び、東南亜細亜テイストや今人気のドラマのチキンラーメン、和牛などなどデパートの地階よりも楽しめるかもしれない。ゆっくり見て、いろいろ買ってみたかったけれど、乗り換え時間20分は、あっという間で残念。これらの売り場をプロデュースしたコンサルタントは、すごい❗️と改めて思ったおばけでありました。

おばけ🌿

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2019年3月 4日 (月曜日)


目の前に琵琶湖が広がっている。☔️のあとの朝は雲がたちこめているけれど、竹生島が見える。
五にゃえもんやクス丸とクロ、シラタマを思いながらながめている。
今日は、高齢の熊本の病院に入院して一週間たつ母の見舞いに、日帰りで九州へ向かう電車のなか。
雨雲はまだ去る気配がなく、琵琶湖は霧の向こうに隠された。
まだ、食べられない母に何も見舞いの品を思いつかないので、春に出る児童書の校正が終わったばかりの原稿を見せてあげようと思う。見せても母は、私が見舞ったことも原稿のこともたちまち忘れてしまうだろうけれども。
今朝おばけは火の国肥後に向かって、疾走中。
おばけ🌿

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2019年2月15日 (金曜日)

おばけつぶやき 紙上の攻防

今日、編集者から校正原稿が送られてきました。
たぶんこれが、印刷前に、おばけが手を入れられる最後の機会。
かと言って、もう大幅な修正などは致しません。読みがなの確認。誤植。読みづらさがないかを、サーッと読んでいきます。
前から気になっていた言いまわしとかがあれば、そこも調整します。
もうすでに、編集者との調整、版元との調整は済んでいる原稿ですから、お嫁入り支度は万端に近いのです。最後の攻防は、校閲者との間に繰り広げられます。
校閲する人はやたら物識りで、もちろん文章的にも専門家。書き手と校閲者との直接対決の攻防は、紙上で繰り広げれば大喧嘩になりそうな気がします。間に編集者や版元をはさんでの対峙なので、編集者がかなりの守備力を発揮してくれます。書き手は、イメージの世界で、言葉を紡ぐのも読み手にどう伝えるかを考え、感覚的に自分の響きに従って書いていますが、時に描く事象の調査が不足していることは、ままあります。そこを、ガンガン突いてくるのが校閲者。とても助けになることもありますが、絶対の信頼は置けません。校閲者の知識は得てして辞書的なことも多いからです。校閲者に指摘されると、やたら闘志がわいてしまうために、集中して原稿を読み直すとこもあり、死守するところもあった校正原稿。すみやかに返送したおばけでありました。

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2019年2月 5日 (火曜日)

立春、本当のお正月は今日あたりから。
あらたしきとしの初めの初春の 今日ふる雪のいやしけよごと 大伴家持 万葉集
新しい年の初めに祈ること、ふりつむゆきのように、いいことがいっぱの年になりますように
という歌意なので、それを詠まれたであろう旧正月の元旦である今日に、唱和するのはいにしえと通いあうものありそうな。
年末年始、妖怪とともに生きていて、今は最後の調整中。編集者と版元の意向に従うのみのオバケです。
物語世界にいると筆まかせで、客観の視座にないまま書いているので、理性と現世の道徳的範疇に、言葉のすべてが入っているのかわかりません。そらゆえ、編集者と版元の意見は絶対。
もう少しで最終局面に入りますので、目を皿のようにして、原稿と向き合うオバケです。


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2018年12月21日 (金曜日)

おばけつぶやき帳

「空が青い」半分青いのではなくて、空が全部青い!ようやく妖怪たちのいる異界暮らしから生還。
妖怪辞典があるほど、八百万の神の国日本には、妖怪と呼ばれる存在も無限に近いのだと毎日、書きながら実感しました。
原稿は二百枚を超えたかなという分量。
これから、整理や調整、直しがありますが、編集者さんのご指導に従います。
今ごろ、編集者さんはきっと苦慮なさっています。
ああ、申し訳ない。
けれど、注文の原稿を送信したあと、やっとこの世の空の青さを満喫したおばけでありました。

おばけ🌿

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2018年11月30日 (金曜日)

霜月の終わり

りんごやミカンやスルメを食べながら、原稿に向かうおばけです。
原稿を書くという作業は、脳内にイメージがかたまっていれば、それを描写するだけでいいのですが、その漠然としたイメージはかいているうちに、変化してとてつもない化け物になっていくことが、ままあります。それで、いい作品になればいいけれど、なんだかなあってことになると、これはちょっと違うかも、で筆がつまってしまいます。
筆がつまったら、がむしゃらに雑事に邁進。落ち葉掃除や片づけや料理やに全力取り組み。
それを毎日くりかえしていたのに、編集者さまに少し締め切りを延ばしていただくお願いをしたのは、11月初めでしたか。
おばけは、おいしいものを食べても紅葉に染まる山にいても、原稿のなかの次元に頭のなかを置いてきた状態3ヶ月。
そんな自分を、日本一幸せな書き手ではないかと、ふと思いました。
編集者さまは、勝手な次元の勝手なビジョンでたらたら綴られたものを読み、的確に一般的目線と、版元の希望する内容をふまえて、赤字を入れて下さいます。編集者という仕事は、書き手と版元を上手にコーディネート、コーチングして作品を本として完成させねばなりません。書き手にも版元にも絶対の信頼を得た編集者は、最高の仕事をしてくれます。
本は、図書館に入れば何十年も読まれることになります。だから、ユーチューブなどにチャチャッとライターが書いていくものとは、手間のかけ方が違うのです。校正の専門家による厳しいチェックも入るし、何より筆者に戻される書き直しは、一回や二回では済みません。書き直しに書き手が気を悪くするとすれば、その書き手はもう伸びません。よりよくなることを放棄するのですから。
どんな制約のなかでも、新たなものを産み出せないなら、書き手はやめた方がいいと思います。
さて、今から、直し原稿に向かいます。
おばけ🌿

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2018年10月20日 (土曜日)

おばけつぶやき帳

今年の夏は暑さが続き、9月は「半分青い」と台風に翻弄され10月に突入。
すずめちゃんと律くんは、皆の期待と願いに応えてくれるところに、着地。国民は安堵。
台風は、老木を十数本なぎ倒して去った。
そしてオバケは、今、原稿と日々取っ組み合い。パソコンの前に居ないときも、頭はどこかで、原稿の成り行きを考えている。
これが、11月まで続くはず。原稿のチャンネル世界と現実世界を行ったり来たりして暮らすためには、睡眠が不可欠。早寝早起き、日常雑事の働きの充実は、原稿に反映する、と思うオバケであります。
オバケは毎日、レモンハチミツ水に凝っておりやす。

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2018年7月11日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

頼まれた原稿は、締切より早めにあげることを心がけています。
某業界紙に頼まれた某大学の企画した本の紹介原稿。紹介する本が到着して、ほどなく原稿をあげ、早めに仮ゲラを見て、おまかせしたら、早々に掲載。早めで良かった。
西日本が豪雨に見舞われ、大惨事となった。どんな業界紙も、紙面を大きく災害に割かねばならないからだ。おばけGJ。
おばけは、最近、YouTubeというものをのぞいて、社会勉強。流れる文字に、意味がわからないものがあると、Google先生にお尋ねして学ぶ。トメが姑で、コトメが小姑、ウトが舅で、ウトメが義両親。
おばけは、現代用語に少し明るくなり、満足。
YouTubeでは、安直におもしろい話が読める。
人類は皆が小説家なのだと思えてくる。ゆえに、小説家無用論も生まれてくるにちがいない、とおばけは予想している。
おばけ🌿

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2018年5月31日 (木曜日)

おばけは恵那市岩村が舞台とされる 「半分、青い 」を
どうなるのかドキドキしながら毎朝BSで見ています。
そして、あまりドキドキしないですむように、先の方までのあらすじを読んでおくことにしました。
今日は最終までのあらすじを読めて、ほっとしています。これで、毎朝少し落ち着いて、見ることができます。いい作品は、何度見てもいいです。むしろ何度も見たくなります。
すずめちゃんに、どうしてこんなセリフを言わせるか。シーンによっては心憎い演出で、何度も見ても感心するところもあり。一人一人のキャラの立たせ方のうまさは、セリフにもあるし、役者の力量もあるし、演出にもあります。
おばけつぶやき帳の管理人氏が、何年も前から音斎人を開いておられる岩村が舞台と知った時、おばけはひっくり返るほどうれしく、それからより熱心に朝ドラウォッチャーになっております。
おばけ🌿

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2018年4月29日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

おばけつぶやき帳
4月の始まりは、少し先輩との永訣の別れから始まりました。
その後また雪も降ったし、今年の大雪はなかなか消えない、との予想を裏切りまわりの雪はどんどん消えて、いつもよりあわててしょうじょうばかまやカタクリが花を見せ、サクラもさいて、4月は瞬く間に過ぎさっていました。明日は三十日。
ああ、そういえば新刊も出たのでした。こんなありがたいことはありません。
日本の偉大な建造物についての本だけれど、関東のものも中部地方のものも、見たことも聞いたこともない建造物があり、とても勉強になりました。
こどもたちが図書館で借りれば、おもしろくてためになる…と信じたいおばけです。

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2018年3月29日 (木曜日)

おばけつぶやき帳

先日お目にかかってお話した方が、急にお倒れになり今、病院の見守りのもとにおられる。
人が生き物である以上、命の尽きる時が来るのは周知のことながら、身近に起こるとあわてふためくこと。
如何にふだん怠惰にいいかげんに生きているかが知れようというもの。
この頃わかったこと。
1日なんとなく、だらだらと過ぎる日を重ねると、心がすさむ。またやってしまった、という後悔とあきらめと、情けなさのミックスの心は、灰色。
誰かのために何かのために命の時間を費やした、という日には満足感に満ちて眠れる。心の色はsunny。
いつ命の終わりを迎えるのかわからないのだから、毎日、心はsunnyで生きていきたい、とオバケは思う。

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2018年1月22日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

今、午後一時をまわり、歩栗でも関東でも雪が降り始めております。昨年の師走からたびたび大雪で、大寒を過ぎたばかりの北陸地方では、数十億円の除雪予算をすでに使いきったそうな。降り続く雪を見ている序盤は、ドビュッシーの雪が踊っている、がBGMでもかまわないけれど、降りやまず背丈を超えそうになる積雪になれば、モーツァルトのレクイエム怒りの日の状況下となる予定。
除雪にスコップをふるうBGMは、何にしようかと考えるおばけです。

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2017年12月 3日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば
と学生のころに覚えさせられた歌が、しみじみとその通りに思える師走に入った。山里は紅葉も終わり、枯葉掃除は桜から柿、紅葉、銀杏と終盤に入り冬の花、雪を待つばかり。
原稿も、ようやく終盤の直しにかかるところまでたどりつきつつあるか。というところ。まだ、根本的に手を入れなければなりないところかあるので、もう少しがんばりたい。
と真面目に取り組むおばけのこの2ヶ月。睡眠は最高のリセット。起きたとき、原稿にプラスするもの、多々与えられる。おばけの知らない世界が、睡眠時に展開されているに違いない。
 
おばけ🌱

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2017年10月21日 (土曜日)

おばけつぶやきちょう

めちゃ忙しい夏が過ぎ、そのままの忙しさで九月が終わり、十月に入ると資料読みと原稿書きの日々。十一月もその予定。
原稿を書けるのはオファーがあるからで、目が見えて手が動かせるオバケは、感謝しつつがんばるしかない。今月120枚、来月120枚、無事に書き上げられますように。蚕が桑の葉を食べるように資料を読み、糸を吐くように文を書いているオバケは、寝ても覚めても描く人物のことを考えております。
 
オバケ🌱

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2017年8月31日 (木曜日)

秋はきにけり
木の間よりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり 古今和歌集
詠み人はしとみ戸を閉めるおりに月を仰いだのか、はたまた夜、庭に出て仰いだのか。馬上から眺めたのかわからないけれど、秋という季節の月光は、玲瓏ゆえにものを思わせる。
心尽くしのというのは、真心をつくして、という意味ではなくて、心にさまざまなことが去来し思い悩むという意味を含むようである。
物忘れをする里の母に、毎日、和歌を一首送ることにしているので、必然的に私もあれこれ歌集を開いて、今日の歌を物色することになる。
ずっと万葉集を送っていたのだけれど、なにせ恋の歌が多いので、今日は久しぶりに古今和歌集に戻ってみた。古今和歌集はいいなあ、今の季節にぴったり!と木の間よりの歌に飛びついた次第。
母より、歌の意味を教えて!とメールが来たので、木の間より洩れてくる月の光を見ている。ああ、センチメンタルになる秋がきたのだな、という意味!とあやしげな訳を返した。
母は、かつて言っていた。
秋の光は、亡くなった父がすぐそばに居るように感じる、と。
もう、母は、そのように洩らしたことも覚えてはいないかもしれない。
記憶とは何だろうか。
この夏、たいせつなママ友が亡くなった。
以来オバケは、LINEに熱心になった。
亡くなったママ友とも、最期までLINEでつながれた。
オバケは朝の支度ができると、こどもたちも含め7つLINEを送る。
まるで、生きている出席をとるみたいなものだが、既読が表示されると、よっしゃ、今日もがんばろうと、始動する。LINEを送られる人々の迷惑も省みない。
心尽くしの秋だから。
 
オバケ🌱

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2017年8月 9日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

15センチ級のムカデが部屋を這っていることたびたびであったので、即冷凍スプレーを枕元に置いています。今年は蛇さんに会わないわー、とめさまがおっしゃるけれど、今日おばけは、玄関で2メートル級のみいさまにバッタリ。
夜に表でドタバタ音がするので、そっと窓から懐中電灯で照らしてみると、ドタバタの主もこちらをのぞきこんでます。思わず、あなた誰?と言ってしまいましたが、タヌキさんでした。
日本昔話でもなんでもなく、おばけの日常です。
昼間は人がたくさん表を歩いているけれど、人なんてものともせず、虫や鳥たちが鳴いている、賑やかな夏。いえ、もう旧暦七夕ならば秋ですね。
春からいろいろなこと、目まぐるしく、いつの間にか秋になっていました。
一番忙しい日に、来客を出迎えに走り出たら、スマホを落として、カメラで写真が撮れなくなりました。
悲しいおばけです。😢
 
おばけ🌱

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2017年6月 4日 (日曜日)

早、水無月に入ってしまいました。炬燵をやっととりのけたと思いきや、今朝はストーブをたかねばならぬ冷え込み。
花は移ろい、牡丹、芍薬を愛でて、青葉は日々色濃くなり、山のなかは緑に酔うほど。
待ちに待った山椒の実を昨日は収穫して、ちりめん山椒を炊きました。
世界では毎日、どこかしらで、事故やテロで死傷者が出て、テレビをつければ中傷合戦で、気分が悪くなってしまうこの頃。
人はメディアやネットの魔界に警戒と耐性を備え、冷静に自らの霊性と対話しつつ、言葉にするのは難しいけれど、命を太く豊かにして生きることを、心がけねばならないかと思うオバケです。
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2017年4月12日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

早、五月は目前。
雪が溶けて、春のお掃除が終わり、春のお祭り。
桜がほころび、いつしか桜吹雪となっていました。
見渡せば、田んぼの代掻きが終わり、水張田に若葉萌える山々が映る、オバケの大好きな風景が広がっております。
春の嵐と言うけれど、親の病に心凍る春の訪れでした。子供というものは、甘えるばかりで、親が病を得ても、役に立たないものだと痛感。反省の日々です。
毎晩、離れている親にお詫びしつつ眠るオバケです
 
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2017年2月12日 (日曜日)

おばけは冬眠から覚めました

長い雪に埋もれた冬がようやく終わろうとしています。摂氏零度のなかでは、おばけは頭も身体も動かなくなることを、この冬痛感しました。
いわばしる垂水の水のさわらびの萌えいずる春になりにけるかも
山里はこの万葉歌の通りに春になります。
冬中凍っていた頭と心身がようやく動けるようになったおばけを多くの外仕事が待っています。大きな杉が何本も倒れているのが、雪解けとともに明らかに‼
花がほころびる前に、なんとかお掃除したいものです。美しい若葉の季節を迎えられますように。
 
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おばけつぶやき帳

おばけつぶやき帳をおばかつぶやき帳と書きかけて、一人笑いしているおばけです。一メートルを越える雪に埋もれて、外気と数度しか違わない室内に居ると、頭も身体もフリーズして動きませんし、働けません。立春をようやく過ぎて、二月も半ば。春よ春よとよびかける元気は氷雪の壁の中にいると無くなります。
この頃思うことは、人の評価、いわゆる品定めとか査定を心の内でひそかにするとき、自分の中に二つの視点があることを感じます。
人というものは、与えられた環境がそれぞれ違い、感じる苦労や喜びも各々必ず違います。それぞれの個人の気分や体調にも、いいときもあれば悪いときもあり、それにともなって心も移ろいます。
一人の人の内には、このように移ろう生き様と、移ろいようのない霊性の二つが見えるような気がします。
生きざまがぐだぐたでもそれを傍観している霊性がいて、めいっぱい努力している生き様にも、それを静かに見つめる霊性を感じます。どんな生き様であっても、その傍らに居る霊性を感じて、頭を下げたくなったりするおばけであります。
 
おばけ🌱

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2017年1月23日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

世界中がトランプさんの御機嫌を注視し、そのつぶやきに振り回されている。
権力を握る者が、歴史の新旧を問わず世の人を振り回すことは常かもしれない。しかし、そうでない為政者、或いは王や女王も存在する。優れた王は、民にその存在すら忘れさせる、と言ったのは老子であったろうか。「私を見て」「これが俺のやり方だ」「俺が、俺が」という輩は幼稚の域を出ることはない。
世の常で、他を批判することほどたやすいことはない。これもまた、幼稚と言えるだろう。
トランプには王や女王もいるが、ジョーカーもいる。
おばけは、一国を率いるものが、一人の未熟な人間の揺れる刹那の感情をツイートつぶやくことを、現代人のネット魔海に猛毒を躊躇なく注ぐように思えてならない。甘言でも辛言でも、人の心に闇を拡大するだけ
おばけ🌱

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2016年12月15日 (木曜日)

おばけつぶやき帳

今年の漢字が「金」になり、清水寺の貫主さまが、大きな筆で文字を書かれるところをテレビで拝見。
あまり達筆でテレビ解説の人も読めない。同時にプレスに配られた資料でようやく金と判明。
文字より、様々な印象が語られ、金メダルなどは明るいし、もちろん世に流通するお金、キックバックの裏金、オリンピックにかかるお金、年金の法改正にカジノ法案可決などなど。
人の暮らしとお金は密接。
アメリカ大統領が代わる来年は、世界が変化していくかもしれない年。
世界どころか、地球でかつて、闊歩していた恐竜が絶滅したような惑星としての分岐にかかるかもしれないとも聞く。
日本では日常茶飯事の震度四の地震もなん十回と重なれば、日本列島は少しずつ形を変えているだろうし、地中では、金鉱床が生まれているとしたら、地震も歓迎、という人類もいるかも。おばけにとっての金のイメージはお日さまでしかない。人類は、国境を争って金をつぎ込んで戦争しているけれど、お日さまは人類がお金を払うこともないのに、地球を照らし続けている。地球が誕生する前からずっと。
おばけ🌱

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2016年10月30日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

原稿のことばかり考えながらも、日常の雑事は間引かないおばけ。効率よく一日を組み立てて、原稿が日常にひびくことのないように明け暮れた夏が終わったとおもったら、冬は目前。真田丸は終盤戦。
今年の原稿は、真田丸とかぶっている時代であったので、映像を見ての影響は避けられなかったような。
考証はしていてもテレビドラマはやはり三谷幸喜さんの創作。キャラのたち方などは、どの武将もおみごとですね。
今回のオバケに与えられた原稿の課題は、織田信長の長篠の合戦と豊臣秀吉の小田原攻め、さらに秀吉のぶんろく、慶長の役、でありました。
編集者が優秀で、赤字が入った原稿を見て、更に資料を読み学んで、より原稿を磨きあげてきたこの夏と秋。学べば学ぶほど違う景色を見、秀吉に関して、新たな見解を得ることができたおばけは、原稿を書かせていただいて、本当によかったと、感謝しつつ、またまた赤字が入った原稿がやってくるのではと、内心やや身構えております。
北陸は雪がこいが始まりました。
おばけ🌱

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2016年9月21日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

この頃せっせと作るもの。
毎日、食卓に供する即席味噌汁であります。
自家製即席味噌汁は味噌玉と申します。
家族の食事時間が各々ずれたり、単身赴任のひとり暮らしでありましたり、夏場に作りおきを煮返すのがはばかられたりする時に、重宝で安心なのであります。
味噌からとる塩分を控えめにすることもできます。
自作して感じたことは、味噌にこだわることになったこと。
味噌はその地方風土のもので、味わいがそれぞれであることを、改めて痛感。
全国で売られている300
円前後のお味噌は、いったい何処で、どんな材料でどのように作られているのか、無性に気になりだしたおばけであります。
まっとうな材料で、その土地の手法で、蒸され寝かされ、かえされて手をかけられたお味噌こそ、味噌玉にするにふさわしい!などと、あれこれ味噌をブレンドし、いりこの粉や鰹節の粉を混ぜ込み、12グラムをらっぷにのせ、カットわかめ、ふ、刻みネギなど加えて、きんちゃくに包み冷凍。
頂くときはお湯をさして、とかすのですが、そこに賽の目のお豆腐など加えても🆗。美味しいできたてのお味噌汁のできあがりは、至福の時を約束してくれまする
 
おばけ🌱

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おばけつぶやき帳

朝2時とか3時に目が覚めて、原稿少し書いて、日常業務に入る、というサイクルがずっと続いているおばけさん。
原稿の締め切りが近いのね。大好きな歴史物なので、がんばっております。最近、百均のお店で見つけたお気に入りグッズ。罫線入り糊つき付箋紙!
苦しい時のウィキ拾い読みにも、執筆にもおおいに役立っております。
原稿が上がりましたら、また詳しく書きますね。
おばけさんは、これから夕食の仕度に参りまする
おばけ🌱

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2016年9月12日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

やっとやっと、長篠、設楽原の合戦を闘い抜いたおばけです。
武田勝頼の視点をひかえ、あくまで主役信長の視点で直してー。と返ってきた原稿でした。天才信長の目線になるには、信長の頭脳が理解できなければならないので、おばけにはタリョウノ資料を読み込み咀嚼、取捨選択する時間が必要でした。勉強するって大事だなあと、痛感しました。
一番信頼できないのが、自分の主観。こんなに無知なのに、生きていられるのが不思議です。学ぶことによって、自分の主観、考えが経験や浅く乏しい知識に支配されていたことを知り、学ぶことによって視野が広がり、人の心の奥底が、違うものに見えてくる。信長の心は、今の私ではいまだつかめないけれど、今の私でつかめた分だけの原稿を、直して編集者に送りました。とてもとても勉強になりました。めでたしの今日のおばけです。
 
おばけ🌱

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2016年9月 7日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

人気の真田丸でも小日向秀吉が亡くなったけれど、昨日までにらめっこしていた原稿でも秀吉が亡くなった。調べては書き、更に調べて書き直しと、なんとも拙い作業で申し訳ないけれど、ともかく自分で納得いく内容になっていなければ、満足感はない。また、編集者側の意図に沿っていなければ、赤字が入り、直すことになる。採点されているのと同じこと。返却原稿を開くときは、真っ赤になっていないか心配。勉強するって大事‼と痛感する毎日。
 
おばけ🌱

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2016年9月 5日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

ひと月あまりの心理的缶詰め状態が、今日一段落。
締め切りの原稿の最終稿を未明に送信しました。
けれども、すでに出した原稿の修正依頼がすでに積まれており、更に作業は継続します。とはいえ、土台となる百枚あまりが、とにもかくにも出せたことを、今日は喜びとして、早く寝られます。不思議なもので、原稿を書いている最中は、四六時中原稿のことを思ってしまい、原稿に支配されて、あやつり人形のようです。まだ、資料の読み込みが足りない原稿の直しがありますので、気持ちをあらたに、明日からやりたいと思います。
なんといっても、歴史物は文語を多用してしまうので、子供向けにもっとわかりやすく!と編集者さんからのご指摘があります。
兵糧は、食料に。領地の安堵は、言葉が難しいので、領地の保証、としておいたら、それでもまだ難しいと言われてます。
明日からがんばろうとおもう、おばけです。
 
おばけ🌱

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2016年6月29日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

おばけつぶやき帳
奥州平泉の毛越寺で、何年か前に作詞した平泉讃歌が、子どもたちに歌い継がれている動画を、先程姫神の星さんが送ってくださいました。
歌うことで覚えた歌詞が、奥州平泉の歴史の一端を子どもたち一人一人のものとして、成長してくれることを想いますと、おばけはしみじみと、ありがたさと幸せをかみしめずにはいられません。
来年は、白山開山1300年を記念して、姫神さんの白山組曲が発表されます。
そこに、おばけ作詞の白山讃歌が加わるかも⁉しれません。
白山の越前の馬場である平泉寺白山神社の庭園では、平家物語で沙羅双樹の花の色…とうたわれる沙羅の花が三日ほど前から咲き始めました。沙羅の花の色は白。花は一日咲くとぽとりと苔の上に落ちまする。命のはかなさ、諸行無常、盛者必衰かくのごとし。

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2016年6月19日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

4月の熊本の地震から2ヶ月が経ちましたが、難儀は続いています。
友人に聞けば、地震保険に入っていたけれど、わずかな見舞金しかもらえないというケースもあり。
マンションの補修などとなると、費用は莫大になると推察します。
住宅だけでなく、熊本城や学校、寺社、工場、ともかく人間の作り出した地上の造作物から、地形、地中までが動いたのですから、どこから手をつければいいのか、自治体の困惑いかばかりや。
誰もが対岸の火事と見るのではなく、明日のわが身として様々な段取りや覚悟をしておくのが大事。
生きている間には、思いもかけないことが起こるのが常。無くしたものを哀しむことはないと思います。命が終わる時に残るのは、心だけですから。

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2016年5月 4日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

熊本空港は、いつもの出口ロビーが地震で被災したらしく、普段入り口になっているところから出たような気がします。
ドモホルンリンクルを作っている再春館製薬前を通り、道路を見る限り、たまに救援の自衛隊のトラックが目立つくらいで、交通量も多く、普段とかわりなく見えました。
東区の実家に帰りましたが、なるほど電気も水道も不自由なく、キッチンはIHなので、料理も不自由なし。
震度7の本震で落ちた食器や花瓶類は、すでに災害ごみで、運ばれたようで、地震後の片づけは、あまり大変ではありませんでした。
でも、次に大きな余震が来るかもしれないと、予防の対策は、怠りなく施しました。
大阪から、大量の水や救援の品々を車にのせて運んできた弟は、刻々と避難所で必要とされるものが変わっていくのだと改めて認識したようです。
実家はセキスイハイムなのですが、28日の帰りの飛行機でお隣におられた方もセキスイハイムで、やはり、食器や以外の破損はなかったとのことでした。
その方のおたくは、なんと被害の大きな益城町でした。木造家屋でも筋交いをきっちりしているお家は、かなりの揺れでも持ちこたえます。今回の地震は、古い建物に酷なものでした。お城もお家もお墓も、古い歴史あるものに、大きな被害が出ました。

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2016年5月 2日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

おばけつぶやき帳
熊本地震のお見舞の旅の始まりは、富田林の重度の障害をかかえながら一人暮らし友人のお見舞から始まったおばけです。
毎日、れいこさんから話を聞いていたので、実際の風景と雰囲気を体感し、リアルれいこさんに面会できて、とても有意義な二時間を過ごしました。
友人はベッドから動けないので勝手に、我が物顔で友人宅を闊歩し、その清潔な暮らしぶりに感嘆したおばけでした。富田林のPLの塔も近鉄電車からなるほど見えました。
スマホはあれども、天王寺駅では迷子になり、あべのハルカスにたどり着けず、天王寺商店街をうろうろしてしまいましたが、大阪の古い商店の風景は、なかなかのものでした。あべのハルカスの一階が近鉄の阿倍野駅、阿倍野駅から富田林西口駅までは、ほどよい距離でありました。
帰りは阿倍野駅に戻り、アポロビルの前から伊丹空港行きのバスに。
おばけは、大阪駅で買ったICOCAを、自慢気に使いリムジンバスに乗ったのであります。
熊本行きの飛行機は、定刻に離陸、お天気がよくて飛行も順調。
熊本上空に至り、地上にはブルーシートのが散りばめられた大地が広がっていました。機上の誰もが息を飲んで、近づく下界の大地を悲しみの眼差しで見つめていたのであります。続く

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2016年4月26日 (火曜日)

おばけつぶやき帳

積年の望みをはたすべく、おばけはサンダーバードの車窓に流れる若葉の山々をながめております。
もう一年近く北陸を出ていないので、都会で迷子になりそうですが、大丈夫。スマホがついてます。
富田林の友人をお見舞できる日が、ついに来ました。
私と同じ年に生まれた友人は、病と共にあって、ほとんどベッドでの生活を、朝夕ヘルパーさんに、家事援助を得て、ひとりでがんばっておられます。
彼女の最大の敵は、病ではなく孤独だと思います。それでも、電話で聴く彼女の声は優しく謙虚で思いやりに満ちています。
会いに行きたい思いがありながら、果たせなかったお見舞。
私は、まだ一度も彼女に会ったことはありません。童話を通じての友人関係は、もう10年以上ですのに。
今日、彼女をお見舞できるのは、熊本の地震のためです。おばけは、幸い地震にあって損壊をまぬがれた生家を見舞うお許しを頂けて、本日熊本に、向かえることになりました。
その道中に、友人に会えるというわけです。
今日のために、おばけは頼まれていた歌詞をしあげ、留守を守る方々の食事、三日分を、こしらえて出立!いざ、エイエイオー。
 
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2016年4月17日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

何かよからぬことが起こる!とこの二週間ほど不穏に吹きまくる風が告げていた。
不穏ののろしは、熊本からあがった。地は裂け、人々の悲鳴が闇に満ちる。
夜が明けてみれば、家々や城や、楼門は崩れ、橋はなくなり、山は崩落。泉はかれている。
致し方のないことだ。
ソドムとゴモラの町。ベスビオスの火山の噴火。沈んだムー大陸。アレキサンドリアの灯台。
人間などしょせん、地上に生かされている、小さな生き物に過ぎない。
地球という星も大宇宙のひとつの小さな生命体。身を守るための新陳代謝も行うだろう。不快な虫は、振り払うし、痒いところは掻いたり叩いたり、膿を出したりせねばならない。
一個の人間だって、日常的に行っていることだ。
人間が大自然の災害をおそれ、何とかせねばと思うとき、大自然をあがめ、ひれ伏してまつる。
まつらずにはいられない。
人間自らの暮らしを守り、仲間や子孫の安寧を祈らずにはいられなくなる。
人間が生きるために、多くの環境の恵みを与えられていることを忘れ、祈りをやめた人間が地に満ちる時、人間が災厄と呼ぶものが、目覚めるのかもしれない。人間はしょせん生き物。いつ踏み潰され死んでもおかしくないから、常に死を覚悟して、祈りつつ生きるしかないと、思えてくるオバケです。

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2016年3月29日 (火曜日)

おばけつぶやき帳

うちに来た中古車に、ナビというものが、のっておりました。オバケは、ナビを初めてガチャガチャしてみました。あちこちボタンを押しているうち、メニューを押せば、行き先を登録して道案内してもらえることを発見。オバケは、勇んで登録してみました。
車が進むと、ナビ画面の矢印も地図上の道路を動いていきます。
突然、お姉さんの声。「300メートル先、斜め右です」「本町交差点左です」と懇切丁寧なる道案内。時々、通り越して間違えても、ナビお姉さんは常に落ち着いて、終始一貫前向きの指示。どんなに回り道になっても、気を悪くなさらず、小言ひとつ洩らすことなく、必ず目的地に導いてくれる。
ナビお姉さまの姿勢に、すっかり魅せられた、おばけでありました。
この頃は、事故が多いので、トラックを見てはできるだけ離れ、トンネルにはいれば、目を凝らし、何事も起こりませんようにと祈っておりますオバケでもあります。
車は、昔の人が何日もかけて歩いた道を、一時間あまりで走破してくれる便利なものでありますが、便利さに慣れきってしまうことなく、道路やトンネルを造った人々の苦労を思いながら、運転したいものです。

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2016年2月23日 (火曜日)

おばけつぶやき帳

電車で五時間かかる遠い伊勢から、二十年以上前になかの良かった友人が、オバケを雪の中、尋ねてきました。二十年という歳月は人の姿を変えるのか?と女性には尋ねても無駄。
「あなた、変わらないわねえ」がご挨拶の生き物であります。
愛想や追従とかでなく、友人は美しい人で、車椅子生活の二親を十年間介護し、仕上げての来訪でした。
精一杯両親をみとり、見送っての旅。
容貌にはあまり衰えのない彼女の変わったところといえば…。
声…でしょうか。ともかく、大きな区分声で、これまたよく通るのであります。
幼稚園の先生をしていたせいでしょうか。ご両親の遠くなった耳に話しかけていたせいでしょうか。
二十年の歳月は、彼女に周囲を圧倒するおしゃべり力を強化させました。
「私はきつい性格なの」
と昔語っていた時は、えっ、そうなの?と思ったりしたのだけど、このたび久しぶりに会ってみて、声だけは堂々たるおばちゃんに、なったのだと納得。
でもでも、待って。これは彼女だけでなく、オバケにも身についた経年変化。
オバケもやっぱり、姿見だけでなく、声も態度も立派なおばちゃんになっているはず。ずっと家にこもっていると自覚できないけれど、久しぶりの友との楽しい時間。子供たちの成長に伴う悩みを語り合いながら、昔はこうだったよね、と永平寺のりうぜんで、子育ての戦友と雲水蕎麦をすするオバケでありました。

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2016年1月19日 (火曜日)

おばけつぶやき帳

おばけは、「野人力」オヤジが娘に伝える生きる原理…という本を昨日の夕方読んだ。面白くてたちまち読了してしまった。新書だからってわけでもない。新書でもあまり面白くないものほ、何日かかっても読み進まないから、やはり野人力は面白かったのだ。
作者は、このブログの管理者Y氏の大学の同級生ではなかったかと記憶する鈴木光司さんと娘さん。
どこが面白かったのかというと、鈴木光司さんの語る生きる原理…などてはなく、娘の美里さんの語る、超野人の父親の生きざま。
美里さんは物書きをめざしているだけあって、読ませる書き手。
無垢な子どもの目線から、赤裸々に語られる、ひたすら小説家を目指し、努力して目標をつかんだ父親の姿は、どんな小説を読むより面白い。
また、粉飾なく自らの辿ってきた道を語る父親も、野人ぶりは桁外れだけれど、魅力的だ。
一冊の本である家族の生きざまに温もりを感じる良書だとおばけは、久しぶりに思った。
理詰めの鈴木光司氏の人生訓は、不思議と何も残らなかった。彼のワイルドぶりは、筋金入りだけれど、とても素朴。
現代人が、文明に汚染され麻痺した神経を取り戻す手懸かりが、野人的生き方にあるかもしれない、と思うおばけでありました。

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2016年1月18日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

とてもお世話になった先輩が、長い独身生活に終止符をうち、かわいいお嫁さんを迎えられた。
おばけには、妹ができたように思えて、木曾出身の彼女が住まうことになった熊本の方言で、ショートメールしている。
熊本では、今はやりのびっくりぽんを、たまがったー!と言うとよ。旦那さまがいろいろうるさく言ったら、せからしかー!と一喝すればよかよ。
とか、ろくなことは教えないおばけ。九州男児でいばりくさっている先輩が、愛想をつかされないよう、かわいいお嫁さんに、おばけが素敵なプレゼントを考えた。
伊勢にいたとき、お友だちになった鳥羽の世古パールの由加里ちゃんが、去年、東京の表参道にorgladrapelという真珠のお店を開いたのを思い出して、プレゼントの品を調達していただいた。さすが、世古パール。おばけの注文通りの品。
それはハートのマベパールのペンダント!
あこや真珠は、球形でいいものはそれなりに値がはる。にせ物の貝パールなどは、数千円で手にはいる。おばけには、よしあしを見分ける目もない。綺麗なもの、粒の大きいものは数十万円するものだ。
真珠は見馴れた感もある。
けれど、マベパールはちがう。存在感があって、片側が平面なのがよろしい。フィット感があって、ありきたりでない。
かわいい妹のようなお嫁さんへの贈り物は、ハート型のマベパールのペンダント。二人が仲むつまじく、熊本で家庭を営めますように!祈りを込めて贈りたいと思う、おばけでありました。

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2015年12月30日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

今年もあと二日。
朝からNHKテレビで見た、平野レミさんのチンたたきごぼうを6分で作り、続いて、辰巳好子先生のいのちのスープ方式で、極上だしをとり、煮物を作りました。そしてオバケは、今、猛然とチョコレートを食べています。頭のなかでは、自分の反省点と改善策を思案中。チョコレートを食べていれば、最善の解決がスムーズに導き出されるはず。
ムシャムシャ。
自分はそうなるまいと、いつも思ってきたのに、歳を重ねると口に節操がどんどんなくなってきたと、思わされること再再なオバケは自己嫌悪の日々。
高齢者の自慢話やしょうもない思い込みの言動に、うんざりしてはいけないと、耳を傾けつつ聞き流し。
人の言葉に腹をたてたり、不愉快になったり、悲しかったり、嫌悪しては無視する自分もまた悲しいおばけです。
ムシャムシャ
おまけに子どもにまで、余計なことを言ったようで、もうこれからは、誰とも話したくない、話すと余計なことを言ってしまい、人をきずつけるのだから。
という思いをあらたに固めております。
口からでる言葉は無節操。
活字にすれば、ややフィルターが効くかもしれませんね。
人の老いを見て、自分の老いに気づいて、老いは言葉を発する理性と知性を無効にするものだと深く思いに沈むおばけです。

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2015年12月23日 (水曜日)

おばけつぶやき帳

誰の口からも、あっという間に今年が終わる、という言葉がを漏れ聞きます。
数十年という人間の寿命も、生きてみればあっと言うまのことになるにちがいないのでしょう。
人間の自己保存本能に忠実に生きているオバケの、命の時間割で、最も優先されるのは、質のいい睡眠の確保。
オバケの身内には、更に睡眠にこだわりのあるものがいて、オーダーメイド枕に、特別なマットレスをしつらえているとのこと。
充分に睡眠がとれないと、翌日、頭も身体もつかいものにならない、後悔だらけの一日に甘んじなければならなくなるからです。
人間という生物は、24時間で、昼と夜を一日として起きて眠ることを繰り返し生きています。
睡眠は単なる休養ではなく、再生、脳内整理、その他科学では説明のつかない作用を人間にもたらすものだと思います。
そう言うオバケは、単に眠ることをこよなく愛しているだけなのかもしれませんが…。

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2015年10月27日 (火曜日)

おばけつぶやき帳

一昨日の日曜日は一日中不気味な強風が吹き荒れ、山の木々が、不安な声をあげていました。聴きようによっては、最後の審判のらっぱかと思うような音が終日山を包んでいて、とても不安な心持ちでした。
昨夜のほぼ満月の大きな月も円虹と無数の鱗雲を従えていて、なんとも不気味。
アフガンで大地震のニュースもあり、日本にも揺り返しのマグマの動きがないかと、少々不安。
天変地異に過敏にならざるを得ない異常気象の連続。
一週間前から雪虫をみかけるようになりました。
毎日、落ち葉掃除に明け暮れるおばけは、いたって元気で、母と大好物のシナモンロールというパンをお昼によくいただきます。
北欧の方のフィカというお茶の時間にはシナモンロールが欠かせないと、御手洗潔の登場するミステリーに書いてありました。
おばけには、複雑なミステリーを構築する頭脳はのぞめません。落ち葉掃除に無心にいそしんでいると、インスピレーションがおりてくるかと思いきや、本当に自分が透き通って無になるみたいです。オバケだからあたりまえかな。

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2015年10月 8日 (木曜日)

おばけつぶやき帳

雪がこいが始まりました。
おばけは、今朝5時に起きて洗髪。朝食の支度。
朝食後、台風の影響の強風で落ちた杉葉はじめ落ち葉の掃除。
来年三月までの冬ごもりに備えて灯油を注文。配達された灯油、31個の重い入れ物を30メートルほど運びました。1人で31個も運ぶ自信はありませんでしたが、怪力オバケは、難なくやりました。vitaminサプリのおかげかしら。
その他に、常総市の知り合いにお見舞いを送り、二つ三つ手紙を書いて出しました。さらに、市の小中学生のありがとうメッセージを読んで、一次審査を完了。我ながら、よく働きました!こどもたちは、表情や態度にださなくても、ちゃんと親や教師、祖父母に感謝していることをあらためて、たくさんの作品を読む機会を与えられ実感いたしました。こどもたちは、いつも大人を見ていて、どれくらい甘えられるのか、甘えてはいけないのか、量っているように思います。
子供が大人になったとき、どんな人になってほしいのか、明確なビジョンを持って、また大人も子供に臨まねばならないとオバケは思いを新たにした次第。
 

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2015年9月28日 (月曜日)

おばけつぶやき帳

北陸新幹線が金沢駅まで来たことで、金沢の街はたいそうな賑わいらしゅうございます。
でも、不思議なのは駅のまわりに林立するロープライスが売りのビジネスホテルが、流入する観光客をあてこんで、土日など、狭い部屋に二倍三倍の宿泊費をふっかけているといいます。それをまた、タクシーの運転手さんが乗るお客乗るお客に吹聴しております。
観光とはなんでしょうか?珍しいものを見たい聞きたいという人間の欲求は、人類が生まれた時から備わったものにちがいありません。光を観て、人は、どうするのでしょう。自らの心をのぞきこんで、思い当たるのは人は、感動を求めているのではないかということ。慣れきった日常の一日の暮らしから抜け出して、見知らぬ所へ出かける、いつもと違う風景や環境に身を置いてみることを、命の洗濯ということもあります。
年齢を重ねると、でかけることも感動することも億劫になる気がするオバケ。
さりながら、慣れきった日常のなかに、小さな感動を探しております。たまさかに、読む友よりのメールなどいとうれし。また、還暦を迎えた先輩よりの結婚の知らせなどは、感動と喜びあいまって、ほんとうに幸せな気分。
観光にさして興味が湧いてこないのは、きっとおばけが、美しい森のなかにいるせいなのだと思うのであります。

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2015年9月13日 (日曜日)

おばけつぶやき帳

暑い暑い夏も過ぎて、9月に入り台風が過ぎたと安堵していましたら、関東では大洪水。
ときにより過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめたまへ
と源実朝が願われた時も、このような有り様であったのかと想像します。
遥かなる関東で起こっている自然の荒ぶる姿を、テレビ映像で見ていたのは、加賀の一の宮、白山ひめ神社の拝殿待ち合い室。
年に1度行われる霊峰白山の集いで、参拝させていただく時でした。
激しい濁流に呑まれる車、家々、流される建物。
人はなすすべなく、救助を待っています。
亡くなられたり、行方不明になられた方々がたくさんおられる。なのに、ただその光景を眺めているしかないオバケ。
もし、明日、オバケが濁流に押し流されるとしたら、天をうらむのでしょうか?
避難を呼びかけなかった行政を糾弾し、保証しろと迫るのでしょうか?
なぜ、自分らだけがこんな目に遭わねばならないのかと、泣くのでしょうか。
オバケは、そのどれでもない気がします。
最後の審判のラッパは、今や日本だけでなく、地球丸ごと至るところで、鳴りひびいているのかもしれません。人類がそれに気づいて、どうするのか。
それを見つめるまなざしの主の存在を意識できるか否かが、人類の未来を決めることになるかも
と思ったりしますオバケであります。

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